暖冬とはいえ、冷え込んできましたね。
賃貸独り暮らし・有給消化中のkeitoです。
昨夜、ショッピングモールのスーパーで
レジカゴから商品を移している時
推定80歳代のご婦人が
推定アラフィフの娘さんに
「足が、痛くてしんどい。車で帰りたい。」
と、訴えるのを耳にしました。
娘さんはイラ立ち
「え、タクシーひろえるかな。
○○駅まで歩けん?
タクシー乗るなら米も買おうかな。。
車、ひろえんやろ。歩けんの?」
「もう痛くて歩けない」
keitoは商品をマイバッグにうつしながら
胸がどきどきしました。
一昨年、脚を痛めて鳥肌が立つほどの痛みに
毎週末、脊椎に硬膜外ブロック麻酔を注射して
半年間通勤していたので他人事と思えませんでした。
何かお役にたてないかと様子を伺っていましたが
上記の会話が何度も繰り返され
娘さんがあきらかにタクシーを嫌がっているのが
見て取れたのでいたたまれずにその場を去りました。
都心の拠点駅の地下2階にあるスーパーなので、
地上に出て車を拾うまでのプロセスは
なかなかややこしいですが、
店員さんに助けを求めで最短距離で地上に出て
寒いけど、アプリでタクシーを呼び
その間、簡易椅子をお借りすれば
負担は軽減できるかなと思いました。
「○○駅」付近がご自宅ならどんなに多く見積もっても
5,000円ぐらいでいけそうでした。
でも、娘さんには娘さんの段取りもございましょうし
他人が安易に提言すべきことではないと思います。
21時過ぎており娘さんもしんどかったと思います。
娘だからこその辛さはkeitoも身に覚えがあります。
わかってはいても、胸が痛みました。
そして、先月、子ども達と映画を観て
娘のおすすめの寿司店に移動するとき
「ママ、脚はだいじょうぶ?」と娘が問うやいなや
息子がさっとタクシーを拾ってくれたことを
思い出しました。
その時は、たいした距離でもないのに、、、
タクシーなんてまったく、、、と感じましたが
あれは、ありがたいことだったのだと解りました。
わたしたちはみんな歳を取ります。
介護をしている知人・友人のお話や
介護をしている方のブログを読むと
老化の進行症状や行動パターンは累計的です。
なかには、スーパー高齢者も存在しますが
そういう方は少数派だと思われます。
多くの人は、遅かれ早かれああなって、こうなって
そうなるわけです。
keitoは、この老化の類型は当然自分に起こることと
考えており、その上で老後設計をしています。
健康寿命(女性75歳)が尽きた後からの平均寿命まで
12年以上、、、長いですね。
100歳まで生きてしまったら
28年ですよ。
健康寿命を延ばすのはよい事ですので
今さら 全部やろうとしてますが (; ・`д・´)
生命体としてのホモサピエンスには限界があります。
糖尿病にならず、動脈硬化を起こさず、血圧をあげず
骨を強化して肥満せず、血流を促し脳を活性化しても
みんな、ああなってこうなってそうなっていく。
それが老化の類型です。
昨夜のスーパーでの光景を思い
歳をとってからのお金の価値について考えました。
よく、「今を楽しまずしていつ楽しむ」とか
「歳を取ってからお金があっても意味がない。」
「いま心配してもどうなるかは誰もわからない。」
という、極論を目にシマス。
そういう方々は、恵まれた人生を送っていらして
周囲にも恵まれた方しか存在していないんだろうな
だから病苦や老苦が想像できないんだろうなと
keitoはひがみます "(-""-)"
42歳でがん治療をした頃、世田谷に持ち家こそあれ、
元配偶者には貯蓄の習慣がなく現金は皆無。
子ども達の学費がかかる時期でしたので
keitoは抗がん剤治療後に仕事復帰の予定でしたが
元配偶者は「金がかかるから」と
医療用ウイッグの購入を認めませんでした。
42歳で、髪も眉毛も抜け落ちた状態で
ウイッグなしで新宿駅経由で電車とバスで
片道90分を通院しろといい(通勤もです)
25日間、放射線治療に通い照射患部は焼けただれ
発熱してもタクシー通院を認めませんでした。
その間、元配偶者は花見や釣りゴルフに興じていました。
治療費は払わず、入院費は全て私の父が払いました。
それでも、周囲の人たちに
「俺はkeitoを愛している。」と吹聴していて
まわりから、「keitoさんは幸せだね」と
いわれてました。
いい経験をしました。(言い切り)
10年後、娘の結婚式の半年後、
元配偶者の事業破綻を見越してひそかに
躊躇なく世田谷を売却して全額慰謝料とし
損切り離婚で逃げ切りました。
一瞬でも躊躇や情けをみせたら
身ぐるみはがれて路頭だったと思いますが
あれはあれで、今から思えばスリリングで
ドラマチックな頭脳戦でした。
(同じ境遇の女性の役に立ちたいのでほとぼりがさめたらいつか書きます。)
ルサンチマンに話がそれてすスミマセン(; ・`д・´)
歳をとったり病気してからお金があっても
意味がないとは思えません。
むしろ、若い時はお金をかけなくても
楽しいことはいっぱいあるし
なんなら箸が転んでも可笑しいけど
老後の貧困というのは笑えません。
独居でもタクシーを使えば通院も買い物もできるし
劇場、美術館、お花見もスーパー銭湯も行ける。
(地味な選択肢ばかり 笑 けど、メンタルの衛生は大事です。)
割高な配食サービスやネットスーパーも使える。
適温適湿の快適な部屋でサブスクも入り放題 w
(なんかわくわくしてきた)
そういうことへの興味も低下し
日常動作を欠くほどに老いたら
介護保険以外や以前に、民間の家事代行サービスも
頼むことができます。
訪問診療・看護・リハビリも依頼できます。
見守りサービス、遺言サービスも進化しています。
お金で全てを解決することはできませんが
システムの商業化で解決の選択肢は増え
確実にスマート化しています。
12年~28年あるかもしれない人生で最弱者の時期に
機嫌よく経済的自立をしていたいので
今は、弱ったおばあさんになった将来の自分に仕送り中です。
いつかはくるその時に、
子ども達が、自分の時間やお金を親の犠牲にしないように。
それだけの動機で
終身年金手取り(仕事に感謝しハードルをあげました)
20万円シニアを目指していきます。
書いて強がり自分をはげましています
★長文のお付き合いありがとうございます。見守り応援うれしいです★